意識高い系と揶揄されることを恐れるな!
いちいち「意識高い系、意識高い系」と連呼する輩がいますね。どうもニック (@Nicholas11232) です。
最近は何をする人に対しても言うため言葉の定義が曖昧ですが、僕なりに意識高い系と意識高いを定義するなら以下のようになります。
意識高い系 努力をしている途中で成果を出していない人。
意識高い 努力をした結果成果を出した人。
「意識高い系」で何が悪い。
やれあいつは〜だから意識高い系、〜するとか意識高いな、、、何でそんなレッテル貼りしたがるかなぁ。挙げ句の果て、やらなくてはいけない当たり前の努力をする人にまで「意識高い系」と揶揄するのはどうかと思います。
努力が必ずしも実るとは限りませんが、人は努力して前へ前へと前進してきました。「意識高い系」だと努力する人を馬鹿にするのは実にアホらしい。
僕らは自分自身を変えたくて、そしてもっと上を目指すからこそ努力している。下ばかり見て努力を怠る者に馬鹿にされる謂れは無い。
レッテル貼り。
代替案を提示することなく、批判だけするというのは誰にでもできる簡単なことです。「意識高い系」とレッテル貼りをする連中はただただ馬鹿にし、批判しているだけ。そんなやつらに心を打ち砕かれてはいけません。
周りが努力を馬鹿にするようなやつらばかりだから「空気を読んで彼らと同じようにする」などと堕落してはいけません。
もし周りに努力するあなたのことを「意識高い系」と馬鹿にしてくる人がいるなら、そんなやつは無視すればいい。もし可能ならこの際縁を切ってしまおう。あなたが頑張ろうとしているのを邪魔するような、足を引っ張るような人はあなたに必要な友や仲間ではない。
周りを見渡せば、必ず1人くらいあなたと同じつ努力を惜しまない仲間がいるはずです。その仲間を大切にし、共に切磋琢磨し合えば相乗効果が生まれプラスの方向に向かう。
迎え入れよう。
でも、もしあなたのことを「意識高い系」だと馬鹿にしていた人達があなた側の人間に変わったのなら、快く仲間に入れてあげよう。そこで「前は俺たちのことを馬鹿にしていたのに」などというようでは、努力しようとする人を馬鹿にしていた以前の彼らと同じになってしまいます。
そして忘れてはいけないのは「意識高い」と呼ばれる人たちも、成功という結果を出すために努力したということです。いきなり成功する人などいません。
とにかく今回言いたかったのは、題名の通り「意識高い系と揶揄されることを恐れるな!」ということです。
大体「意識高い系」という呼び方がすでに馬鹿にしている。
普通に「努力家」とかでいいでしょう。